昭和40年03月13日 夜の御理解



  信心のない間は分からなかった事で御座いますけど、だんだん信心が分らせて頂きますと、せっかくさせて頂くなら、神様の喜こんで頂くような、信心をさせて頂こうと、神様に喜んで頂くような、信心をさせて頂こうと、言うふうに皆んなが思いをこらすようになります。皆さんでもそう、ね、例えばこれは信心がなくて人にものをひとつ進物をするにいたしましても、ね、
 相手さんが求めてござるもの、何が一番喜びなさるじゃろかと、せっかくまあ金をかけてから、進物をするのであるから、せっかくなら相手さんに喜んで頂くような物を選ぼうと、選ばせて頂くように、信心も段々そこが分かってくるようになる。神様に喜んで頂くような信心をさせて頂こう、だからこの思いこの一念が段々強うなって行く事だと、ね、信心とは、神様に喜んで頂けれる信心。
 だからここん所の思いが無くなったらです、ね、もうよい信心は育ちません、どんなに巧者になりましてももう育ちません。ね。金光様が三代金光様が仰っておられた、あの新の心とはね、ただ今私が申しますように、神様に喜んで頂くような信心とは、神様に喜んで頂くような信心とは、と求め続けて日々修行させて頂く、そこから生まれて来るものが、新な信心です、新な信心でなければいけません。
 やはり、あの季節季節のものの、走りなんかを頂きますとやはり有難いですね、例えばお野菜ならお野菜が出来る、胡瓜なら胡瓜がなる、その言わばなり始めの花の付いた様なだった、もうこんなに大きゅうなってから、持ってこられても有り難迷惑ですね、かえって、ね。ですから新な信心とは、そう言う花の付いた様な、言うなら胡瓜で言うならそういう信心のこと言うので言うのじゃないだろうか、と私は思うです。
 今頃は段々少なくなりましたけれどもね、あんな風情が、蛇の目の傘でもさして、高下駄でも履いて、ね、女の方なんかがこう八の字で、こう歩いて行く姿なんかこう実に風情のある姿でした、また歩いておられる人も、なんか知らん雨の日を楽しんでおられるような感じでした。(笑っておられる)ね、こりゃ女の方だけじゃありませんよね、言うなら雨の歩道ですね。
 レインコートを着て長靴を履いて、コウモリを持って、どんなに土砂降りの中でもです、もうそれこそ歩道はもう滝のように流れておるような、大降りの中でもです、スタスタこう歩いて行くなんて、なんかしらんけど雨ん中でも楽しい気がいたします。もうとにかくそのどういう中でも、楽しゅういけれるやはり道はあるのですね、ところがなかなかですその修行中と言うか、また本当それが、分からない体得が出来ない時にはです、やっぱりその難儀な事です。
 まあ傘さして行きよった、風が吹いてきた傘がおれた、高下駄のかた一歩が、歯がおれたと言うような風になってくると、チンガチンガしながらです、それでも脱ぎたくないもんだからこうして、行きよる姿って言うものは、こちらから見てじゅつなかろうと言おうごとある、ですから私共そう言うような場合はですね、もうイッソひと思いに思いきってですもうかなぐり捨てるんです、その傘を、ね。
 もういっそその下駄は脱いで裸足になるんです、そしてその濡れしぼたれの中にです又味わいを分からして貰うんです。ありますでしょう。濡れまい濡れまいとする所にしゅるしさが倍化いたします。見とってもしゅるしい、私共そのそうした修行中修行の時にはです、本当に濡れしぼりながらでも生き生きとしてです、なんか楽しいような生き方をしたいと、そこにまた生き生きとした新な信心が生まれてまいります。
 私がまだ福岡で修行中の時分でした、家内子供こちらに返してからの事、大変寒い朝でした家内も子供もこちらに返してしまっておりますから、今日ユックリ御神前に向うて御祈念が出来る、思う存分に修行が出来るそんなに思いましてから、御祈念させて頂こう思うてから御神前に出たんです。不思議ですねお道の信心とは、本当にわずらわしい中にです、時間を裂いて工夫をしてと言う様な、お参りの方が有難い様にです。
 出来ん中から用でもさせて頂く、時の方が新な心が出て有り難いです。不思議です皆さん体験があるでしょう。よっこいしてさあ今日もいっちょう、ゆっくり御祈念させて頂こうかち言いよる時には中々よか御祈念出来んでしょう。どんなに御祈念してもその神様にかよわないですね、ですから私途中でやめました。そしたらどうこう言わずヤカンに出がらしの茶がこうグラグラたぎっておりました。
 お茶でもひとつ頂いてから、そして気分でも変えて御祈念しようと思って、それからあのお湯飲みに汲んでからチョット一口頂かせて貰った、その時分断食中でしたから、もう一杯のお茶の染みとおっての、おいしい事ですね、おいしいんです、そん時ハアー神様神様にひとつこのお茶飲んで貰おうと思うてですね、すぐお湯飲み取ってから、お茶をついで御神前にお供えさせて頂いたんです。もう拍手を打つ暇もありませんでした。もうそれっこそ有り難い有り難いで御祈念出来るんですもんね。
 そしてその当時頂いた事です神様から、今日のお茶がね特級酒の神酒うすを供えているほど神が嬉しいと仰った、そんなら明日もいっちょお茶ばお供えしようと、とした時にそのもうないですね、私は以来お茶に不自由はした事はありません。一遍通うたらそんなもんです。ですから工夫して分る事じゃないですけど、工夫しなければなりません。もともとすぐ与えられる訳じゃありませんが、求め続けなければなりません。ね、
 どうしてじゃろか、どうしてじゃろか、とこう考えてから分るもんじゃないけれどもです、どうしてどうして、といつも心の中に思わして頂きますと、ね、期せずしてお茶のお供えさせて頂きながら信心の言わば新な心と言うものを、体得する事が出来ます。ね。雨に濡れながらです、濡れしぼたれになってです、ね、そして裸足がらで行きよる中に、そう言うものを感じるように、早かなぐり捨てた方がよかった。ね、
 もう傘は破れん事と思うて、こうやってさして、そして下から半分はもう濡れとう、ただ頭の上が濡れんだけ、ね。履物はもうチンガチンガでその、歯は欠げとると言ったようなものをです、無理に履かずにそう言うような歩きにくい時は、本気でです私は裸足になるべきじゃないだろうか、もっとる傘をかなぐり捨てるべきじゃないだろうか、それに執着しておる所にいつまでも、新な信心が生まれてまいりません。
 新な信心私は御祈念をさせて頂くでもです、ね。新なものがなければ新な心で神様に向かわなければ、いけないと思います。ですから自分の心のなんかきちっとこう何か感じるまでは、ここを立ちませんいつも、ご神前に出ても神様が、こっち向き直ったと言う感じがしなければ、拍手打ちません。?天津祝詞ひとつ大ばらい奏上ひとつさせて頂くでも、私のはいつも気分が違います。
 私しゃこうですから、いつも交流しないでしょうけど、ある場合はうれいを含む、ある場合はもう嬉しゅうて答えん、と言う思いが表現その中にされておるような思いでおかげを頂きます。ね、相すまんと言う時に、ほがらかな大払いあげとっちゃいけん、?神様にです、本当にそれはそれとしてかよわないです。ね、神様の前と霊神様の前もー気分が違います。ね、もう親密の度と言ったら、なんて言うでしょうか。
 本当に肉親の情と言ったようなものが通わなければいけません御霊様に、やはり長い気分が変わらなければいけません。ただ真心さえあればと、勿論真心ですけれども、ね、だから信心は工夫をさせて頂くでしょう本当に有難い有難いじゃない、楽しいんです、信心を楽しむチョット可笑しいんですけども、私はその信心を楽しまなければいけないと、どんな難儀どんな苦労と言う時でもそれをただ難儀を苦労感じておる時は、私が今日言う、ね、雨の中を破れ傘刺してチンガチンガ歩いておる、ね。
 高下駄の折れたようなものを履いておる時であるとまず、知らなければ行けません。信心に一番大事な物神様が一番喜んでくださるもの、人に進物をさせて頂くでも、せっかくさしあげるなら、神様が喜んで頂くもの、イヤその相手の方が喜んで頂く物、何が好きじゃろか、ね、何を喜びなさるじゃろか、と言うて工夫をするでしょうが、だから神様はましての事工夫しなければいけません。
 神様はどう言うようなあり方が、どう言うような物がお好きだろうか、四神様神様は大体何が一番喜びでしょうか、と言うてお伺いした信者があった、ね、そしたら四神様が仰った。みきを奉れと仰った。はあ神様はお神酒がお好きでございますか、と仰った。有難き畏れ多き勿体なきじゃわいと仰ったそうです。ね、有難き勿体なき畏れ多き、と言うみきと言うのもです、新な心の供のうた有難きであり、勿体なきであり畏れ多きじゃなからなければ値打ちはありません。ね。
 まあお神酒が好きだから、神酒を奉るから、と言う意味ででしょう、椛目はお神酒のお供えが大変多いんですけれどもね、そんなこっちゃないんです実を言うたら、お醤油でもいいんです、いやもうそれこそ庭の散り葉でもいいんです。ね。必ず御酒のお供えしなければ神様喜んで下さらんと言う事じゃないです。がそこで皆さん神様には何が一番喜んで頂けるか、と言う事が今日お分りになったでしょう、ね。
 皆さんが工夫をなさる、ただ今も申しますように、ね、神様はどう言うような信心をさせて頂いたら、喜んで下さるじゃろうか、どう言うようなあり方にならせて頂いたら、とやはり思い暮らすそこからです、求め続けそこからです、ね。期せずして求めているものが与えられる。そう言う時に生まれて来る新な心、その新な心に供のおうた有難きであり、勿体なきであり、畏れ多きであり、それが神様の一番お喜びのものであると言う事が、今日皆さんお分りだったでしょう。ね、どうでしょうその神様のお喜びになるものを、お供えしての
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